増え続ける年賀状

諒闇に伴う欠礼はがき・初めての年賀切手を 貼ったはがき

明治終わりから昭和初期にかけ、年賀状の取扱量はますます増え続けます。特別取扱制度も定着し、明治天皇崩御に際しても中止されることなく続きました。これは、時代の変化を反映したという面もあるでしょう。大正初期から昭和初期までの日本の産業発展は著しく、地方から働き口を求め上京し、都市部に住む人々が増えました。また、昭和5年前後からは中国東北部、いわゆる満州に開拓団などとして移住する人々も増加します。そうした人々が、郷里との間で年賀状を交わすことも多くなったのです。
1923(大正12)年9月の関東大震災の際は、翌年向けの年賀郵便特別取扱は休止され、大正天皇崩御の際は、崩御されたのが12月末であったため、その翌日から取扱を中止しています。それ以外の年は、年々取扱量が増え、1935(昭和10)年頃には7億通を超しピークを迎えます。私製はがきが増え、この年初めて年賀切手が発行されたことも大きな影響がありました。
この年賀切手は、翌年、翌々年と第3回まで発行されますが、昭和13年用を最後に発行が途切れます。そして、1937(昭和12)年頃から年賀状は急激に減りはじめました。
それは、戦争によるあらゆる物資不足の影響でした。

「お互に年賀状はよしませう」

「お互に年賀状はよしませう」 のポスター

1937(昭和12)年7月に起こった廬溝橋事件により、いわゆる日中戦争が始まります。そして、その戦局は、年々悪化の一途をたどります。1938(昭和13)年には国家総動員法が成立、それ以降、世の中の雰囲気は、次第に「年賀状どころではない」というものに変わっていきます。

1940(昭和15)年には、年賀郵便の特別取扱も「当面の間」中止ということになり、翌1941(昭和16)年の太平洋戦争突入以降は、さらに自粛の声が高まり、逓信省自らが「お互に年賀状はよしませう」と自粛を呼びかけるポスターを掲げます。終戦の年、1945(昭和20)年の正月には、どの家にも、年賀状はほとんど届いていませんでした。
戦時中に年賀状が消えたことは、1年の始まりを祝い平安を祈る年賀状が、平和の象徴であることを証明しているとも言えるのではないでしょうか。